幼少時代「私の原点」
東京都中野区に生まれる。
幼少期から、積み木やお絵描きが一番の楽しみで、チョコレートやキャラメルをもらっても、それを食べる事より積み木に見立てて遊ぶほど。
母からの24色クレパスのプレゼントをもらった時には、「デリケートな中間色」に初めて出会い、色彩の世界が一気に広がり、こころがはずんだ。
青年期
建築設計家を目指して
大学受験を控えた17歳のとき、将来の職業として「建築設計家」を意識するようになる。
その後、武蔵野美術大学造形学部建築学科に入学。大好きな建築に全情熱を傾け、周囲からは「顔つきが変わった」と言われるほど充実した学生生活を送る。
2つの運命の出会い
【運命の出会い①】
「建築設計という幹」ができた自信を得て、運命の美女に求婚、自分にとって最も大切なのは「建築」と告白したら、彼女の返答は「私のライバルは建築なのね」。その後、在学中に長女誕生。大学の卒業制作として、「ライフサイクル・ハウス 新婚から老後まで」をテーマとした個人住宅を制作。
【運命の出会い②】
大学4年目に、古美術研究で京都へ向かう途中、東海道沿線にある「日本バイリーン滋賀工場群」に出会う。その設計の斬新さに感銘を受け、設計者の「海老原建築設計事務所」に入社しようと決断。卒業制作等の図面を担ぎ突撃訪問。面談の上、無事入社が決まる。
海老原事務所時代 前期
海老原建築設計事務所所長
海老原 一郎
海老原一郎は、東京藝術大学建築学科卒の美大系建築家で、日本建築家協会会長、東京藝術大学講師など歴任。芸術院賞受賞、その後会員へ。
根本入社当時、海老原建築設計事務所の取引先の多くは「大日本インキ化学工業」の建物であり、海老原は「大日本インキ化学工業」代表の川村勝巳と深い関係で結ばれていた。
根本も入社当初から「インキ担当者」のスタッフとして組み込まれていった。
海老原時代前期に根本がまとめた主な建築
- 日本バイリーン/東京工場 社宅・独身寮新築(1972)
- 日本中央競馬会 浅草サービスステーション新築(1973)
- 大日本インキ化学/東京工場 グラフィックセンター新築(1980)
- 大日本インキ化学/東北工場群新築(1982)
- 日本バイリーン/滋賀工場 第四工場新築(1985)
欧米などへの建築視察旅行
「ローマ・パンテオン」「メキシコ・テオティワカン」など、歴史上の有名建築との比較により、自分のやるべき設計テーマが明確になった。
海老原事務所時代 後期
川村 勝巳
大日本インキ化学工業(後のDIC株式会社)
海老原一郎の中学時代の同級生であり、親友。大日本インキ化学工業の2代目社長。(後の相談役)
海老原建築設計事務所の取引先7割を占める。
当時の海老原事務所所員一同の写真。
一番後ろに立っているのが根本。
奈良への事務所旅行、東大寺二月堂前で
「いい建物ですねえ」と会話している二人。
海老原時代後期に根本がまとめた主な建築
川村理化学研究所プロジェクト
(後のDIC総合研究所)1986~
根本が中心になってまとめた大プロジェクト
川村記念美術館プロジェクト 1990~
建物普請と絵画コレクションが唯一の趣味であられた、オーナー建築主 川村勝巳氏。長い長い建築設計行為の中での海老原が本来の持つ資質と情熱を最も素直に表現できる美術館建築に残り少ない生涯をささげた、設計者 海老原一郎
この二人の思い入れが最も深く交差した川村記念美術館プロジェクト。
この渦中に実務チーフ担当者として身を置くことができた、根本の幸運。
「根本の建築ものがたり」の中心に位置づけられるこの三年間。
川村勝巳相談役と海老原という二つの情熱
建築設計「 老 有 自 」設立
老子との出会い
海老原の死後、「一代一建築設計事務所に限る」との海老原の信条から、海老原建築設計事務所は解散。根本が関係建築主をそのまま引き継ぎ独立。独立にあたり、設計事務所名を決めなければならず、以前より心の奥にしまっていた、老子の「無為自然」という考え方が浮上。
「無為自然」とは、「何も為そうとせず、自然に任せていれば、全てうまくいく」という意味だが、「無為」とまでは悟りきれない私は、「有為」だけれどもやはり「自然」でいたいという意味で「有為自然」とし、「老子・有為・自然」を略して「老有自」と命名。
「老有自」今ひとつの意味は「老いてこそ有る自分」(老いをネガティヴに捉えず、ポジティヴに捉える生き方)でもある。
川村記念美術館竣工間際での海老原の死後も変わらず
お付き合いして頂いた川村相談役との和やかなひととき(1992頃)
根本の右が川村相談役、その右が川村家の姻戚で未術間起草の立役者:彫刻家の飯田善國氏、左端がディックアートの青山社長
巨星落つ、川村勝巳氏の死(1999)
海老原の死後8年が経ち、すっかり好々爺になられた川村勝巳氏。
晩年は月に一度、美術館周りの自然を楽しんでおられた。
その度に呼び出され共に散策をした根本。
「老有自」としての主な作品
- 大日本インキ化学/蕨工場・技術実験棟建築(1995)
- 墨田区K邸新築(1996)
- 日本中央競馬会 浅草馬券売場改修(1997)
- 藤沢市S邸新築(1998)
- 三井物産横浜支店改修(1999)
- 三井物産別館改修(2001)
- 読売新聞入間ステーション及び独身寮新築(2003)
- 大日本インキ化学工業・タイ AMATA工場群(2003~2005)
- DIC100周年記念事業 川村記念美術館増築(2005~2008)
- ハーモ美術館 リニューアル(2006~2007)
- エイム新社屋新築(2010)
- 青葉台マンション新築(2011)
- TSマリンビル新築(2016~2017)
- DIC東京・千葉・鹿島・総研・川村美・各事業所改修
- 宇都宮K邸改修(2023)
いま、「老有自」、(老いてこそ有る自分・・・無限に広がり、深まるキャリア)の意味がいよいよ生きてきた。